あんま、このスレとは関係ないんだけどさ……
そんなことを言い合っていたのは、もう遙かに昔のことだ。
今でもこの季節になると思い出す懐かしい記憶。
さほど重要ではないことが、絶対的だと無邪気に信じていた頃。
僕には、決して忘れることの出来ないことがある。
近所の吉野家が150円引きセールをやっていた。
普段は吉野家に目も向けないような人々が、僅かな金を惜しんで吉野家に集まっている。僕はそんな人混みの中で、必至に牛丼を食べようとした。
押し寄せる人波は、店の席を埋め尽くしている。家族と共に吉野家を訪れた父親が特盛りを頼み、いつもの吉野家が全然違う場所に見えた。
Uのシルエットを描く吉野家特有のテーブルの向かいに座った人と、ささいな理由で喧嘩したのは一体いつのことだっただろうか。
あの今にも刃物が抜かれそうな緊迫した雰囲気は、確かに息苦しいが、心の奥のどこかでそんな吉野家が好きな自分がいた。
さんざん待たされて、ようやく席につく。
隣にはうだつのあがらなさそうな青年が猫背になって座っていた。
「あ、あ、あ、あの……大盛り…つゆだくで……」
まるでコンプレックスの固まりのような青年が、裏メニューの存在を知っている自分に酔っているかのように得意げな、しかしどもりながら、表情で店員にオーダーを告げる。
そんな彼は、きっと「つゆだくで」と言ってみたかったのだろう。他の人と違う自信を吉野家の裏メニューという狭い場でしか持てないかれは、そのとても小さなアイディンティティを必至に守る為、大勢の前でつゆだくという言葉を口にした。
それはきっと、とても勇気のいることで、小さな彼にとって大きな一歩なのかもしれない。
だが……君は本当につゆだくが食べたいのかい?
思わず問いかけそうになり、自分を押さえ込んだ。
だがつゆだくなんてものは最早廃れてしまっている。
吉野家に通じた僕たちの間では、ねぎだくを頼むのがちょっとしたはやりになっている。
ねぎだくというのは、肉を少なくした代わりに葱が多めにはいるというものだ。これに玉子をつけると、それは何にも代え難いご馳走になる。
中には気取ってギョクなんて呼ぶ人もいるけど、それは松屋のしきたりだ。
だけどねぎだくなんて頼む人は、なかなかいないから、間違いなく頼んだら店員に目を付けられてしまう。
今日、この店に始めてきた人なんかには、荷が重すぎるオーダーだろう。
そんなに危ない橋を渡るくらいなら、牛鮭定食あたりから入ればいいんじゃないかな、そんなことを思っているうちに、注文した牛丼が運ばれて来た。
2003年のクリスマスイブの夜。
僕は吉野家にいた。
次々と入れ替わる客。
後ろに座った若い男が「すいません、お茶キボンヌ!」と店員を呼びつけていた。
あれから5年後、今日も私は吉野家に行く。
もうねぎだくは頼めないけど、大盛り牛丼に玉子をつけて。
あのときと変わらない牛丼の味が、僕にクリスマスを実感させてくれた。
戦場のメリーヒガシムラ 完
あんま、このスレとは関係ないんだけどさ……
原稿できたの?