2006年01月26日

降り積もる雪の下の妹

「先輩」
不意に呼びかけられ、顔を上げると底に後輩が幾分か不満げな顔をして立っていた。
「どうした?」
私が問いかけると、彼は幾分か疲れたため息混じりにこう告げた。
「東村さんはたまに顔を出したかと思ったら、仕事もしないでパソコンに向かってニヤニヤしているだけですか……」
なんだい、そんなことは……うん、まぁそんなこともあったかもしれない。
だが率直にそれを認めるのも、なんだか恥ずかしい気がする。
「いや、決して私はパソコンの画面に向かってニヤニヤする為だけにここにいるんじゃないよ」
「じゃあなんだって言うんですか?ここ1週間面倒な仕事はボクに押しつけて、全然動いてないじゃないですか」
むむぅ。
私は椅子から立ち上がり、軽く息を整えると、真正面から後輩と向き合った。
「いいかい、これから私のする話を良く聞くんだ。本当に私が何もせず、ただ無為に時間を浪費するだけの存在なのか、私の話を聞いてから判断を下すんだ」
レースのカーテンが引かれた教室内には、夕陽が差し込み、後輩の顔を紅く染めていた。
窓に向かうと日差しが眩しい。
だが冬の日差しは暖かく、それは既に過去となった思い出の中の日差しと同じ暖かさだった。



2003 Winter

 そう、あれはもう3〜4年も前のことだった。
当時の私は札幌に家族――両親と妹――と同居していた。
あの頃の私は働きながら大学を目指してね、
まぁそう言えば聞こえはよさげだが、実際のところは二足のわらじなんかはけるはずもなく、勉強はおろそかで、全然大学に受かれそうな見込みなんて無かった。

 私はそんな現実から逃げたかったのかもしれない。
いや―――事実逃げていたのだろう。
そう、あの頃の思い出と言えば白く積もった雪の中、家に帰りたくなくて夜の街をあてどもなくふらつき、ただ無為に時間を過ごし、無駄に飲んでいたことぐらいしかない。
 センター試験が終わると、その結果は散々なものだった。
所詮現実なんてこんなものさと思いながら、自分の能力の決定的な不足を社会のせいにして、目の前に突きつけられた結果から顔を背けていた。

 あの日もいつものように遅くなってから家に帰ったんだ。
自室に入り、コートとスーツをベッドの上に脱ぎ散らかして、パソコンの電源をいれる。
ブンと低い音、そしてハードディスクがくるくると回り出す音と共に見慣れた白地に旗のロゴが浮かび上がった。
インターネットの巡回コース。
プライベートな人付き合いはオンラインにしか残っていない。
仕事をしているとは言え、実際は限りなく『ヒキコモリ』に近い生活だった。
いや、精神的には完全なヒキコモリだったね、あれは。





刹那的に時間が流れていく。
いくつかピックアップされたお気に入りのサイトを見ては時折声をあげて笑う。
時計の長針と短針が重なる頃。
なんとなく暇になればオンライン上にいる知人にチャットで話しかけるか、掲示板に不意に思う着いたネタを書き込むのみ。
カタカタと無機質なキーボードが乱雑に散らかった部屋に響いていく。
ああ、夜が更ける。
明日もまだ仕事がある。
そろそろ寝ようか。
灯りを消すと、カーテンの隙間から街灯のオレンジの光がボンヤリと天井に移っていた。
遠くから微かに除雪車の音が響いていた。
ぼんやりと明日の朝は雪がどのくらい積もるのだろうと考えているうちに眠りにおちていった。

 翌朝、家を出る頃には、地下鉄駅までに走れば間に合うくらいの時間になっていた。
玄関には妹がいた。
高校の制服と指定のコートを纏い、ちらりと僕に目をやった。
とても冷たい目。
それは僕という存在を認めまいとする目。
そこに感情はない。そもそも今、ここに存在している僕は妹女の目の中ではただの虚無なのだ。
妹はこの辺りでも有数の進学校に通っている。
僕のような社会の落ちこぼれとは違う世界で生きていく人間だ。
彼女と僕の人生は今まだ重なっているが、それも後僅かのこと。
どちらかこの家を出て行くようになれば簡単に他人になってしまうのだろう。
そんなことを思わせるくらい僕と妹の仲は険悪だった。
いや、冷淡だったと言うのが正しいのかもしれない。
 僕たちは複雑に視線を一瞬だけ絡めると、お互いの存在を意識的に消して自分のスケジュールに従って動き出す。
妹は学校へ、僕は職場へ。
結局、昨日の夜から降っていたとおぼしき雪はまだ止むことが無く、朝の8時も近いというのに雪を踏みしめられて作られた歩道はとても狭かった。

 自分でも思うが、まぁ毎日毎日同じ事の繰り返しでよくぞ飽きないものだ。
今夜も家に帰ったのは夜の11時。
1人で冷えた残り飯を食べ、自室にヒキコモリパソコンと向かい合う。
掲示板に寄せられた返信を読んでは笑い、カタカタとキーボードに打ち込んでいく。
浪費される時間。
それは2バイト文字の作り出す量産型の愉しみに形を変え、何も残すことなく役割を終える。
ひとしきり満足の行くまでインターネットを徘徊し、布団に潜り込んだ。

 僕は休みの日の使い方を知らない。
せいぜい昼が過ぎるまで眠り、おもむろに布団からはい出るとまたパソコンに向かい合って前夜の続きの世界へと潜り込む。
そして気がつけば、今日もまた何もしないうちに一日が終わっていた。
不意に外に出たくなり、コートを羽織ると鍵だけ持って外へ出た。
家の隣に広がる大きな公園を散歩する。
ちらちらと雪が舞い落ち、街灯が廻りの雪を白く浮かび上がらせる中をふらふらと歩く。
なんとなく感傷的な気持ちになりながら、夜の誰もいない公園を歩いていると、自分はどこまでも無為な存在であると痛感した。

 ぐるりと公園を一周したところで、足が止まった。
誰かがそこにいた。
―――いや、誰かじゃない。あれは―――妹だ。

 上機嫌そうな妹の横顔は僕の姿を認めるとにわかに険しくなった。
同じタイミングで家にあがる。
玄関の扉を開けると妹はまるで当然であるかのような態度で僕の横をすり抜けてただいまと誰もいない玄関に向かって声を浴びせた。
まぁべつにこれくらいはなんでもない。
僕も家の中に入り、曇った眼鏡をポケットに突っ込んであったティシューで拭っていると妹が話しかけてきた。
「毎晩毎晩、キーボードの音を響かせながら笑い声を上げるのはいい加減にして貰えませんか?」
妹の声はまるで他人に接するかのように、冷たく響いた。
それだけ言い終えると、踵を返して階段を上がり乱暴に自分の部屋の扉を閉め、カチャリと鍵の閉まる音を最後に静寂が訪れる。
僕はただボンヤリと玄関に取り残された。

 また一週間が始まる。
さながら社会を廻す歯車のように働く日々。
だがその歯車の一つ一つは決して大切なものではなく、一つが欠けても社会は何事もなく回っていくものなのだ。
そう言う意味で僕は大して価値のある人間ではないのは間違いない。
だが、ひょっとしてそれは妹とて同じことなのではないだろうか?

 あの公園での邂逅から数日後。
僕は高校時代の数少ない友人と飲み交わし、酔いさましもかねて遠回りになる公園の中を歩いての家路についていた。
家の前まで来ると、そこに妹がうずくまっていた。
触らぬ神に祟りなし。
僕はその横を心持ち早足で通り抜けると、また乱雑な寝床へ帰っていく。





眠い。もう寝る。続く。


posted by 東村氏 at 01:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 妄想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
妹さんの身に何がっ!?
Posted by 中山 at 2006年01月26日 08:34
ボクっ娘
Posted by かとそ at 2006年01月26日 16:35
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