試験勉強のBGMにかの「まんが日本昔ばなし」の名曲、「にんげんっていいな」をかけていると不意に気がついた。
この曲、とっても歌詞がネガティブだ。
ここで歌詞を載せるとある日突然JASRACの者がやって来かねないので、グーグル先生あたりに質問して貰いたいが、なんだろうこのほのぼのとした描写の中にある一縷の物悲しさは。
以前に取り上げた「まっくら森の歌」も同じだが、80年代子供向けの歌の歌詞は案外に大人でも考え込ませるものが多いような気がする。
私の了解に基づく限り、この歌詞の一番は人間の様子を見ているくまの子(熊の子)の視点から、客観的に描かれている。初めのかくれんぼの辺りは遠くから遊んでいる風景を眺めている様子が描写される。
まだこの辺りは牧歌的な雰囲気が漂っている部分でもある。夕陽が沈みかけ、茜色に染まった空をバックに遊ぶ子供達と、すこし離れたところから眺めているくまの子(熊の子)。
……この風景を見ている熊の子は、もしかすると遊びの輪の中に入りたいのだろうか?
そう考えると実は初めからネガティブな雰囲気が漂い始めているのか…
、サビの著名な「いいな いいな にんげっていいな」の部分から歌詞に込められた感情が暴発する。
そこにあるのは自分の手には決して届かない諦めを滲ませたある種の羨望である。
自分の手に入らない生活を夢想し、最後に「でんでん でんぐりがえって」も現状は変わらず、そのまま憧れに対し「バイ バイ バイ!」と決別をしてしまうのである。
そして2番へ。
いきなりモグラがでてくるが、もうここからしてネガティブである。すなわち陽の光の当たらないモグラに視点を転換することで、この歌詞が語る世界観そのものが脚光を浴び得ない存在を象徴するものであることを暗に主張している。
そして又も同じである。諦めを滲ませた羨望と、現実の待避が描写される。
にんげんっていいなというこの名曲は、子供達に現実社会の厳しさをつきつける歌でもあったのだ。どうやっても格差の生じる社会構造のあり方が、無意識のうちに子供に刷り込まれていく。
思えば私は幼少の頃よりこの曲が好きだった。そう、いつかはこの歌に歌われるような人間になりたいと渇望したものだった。
だが現実はどうだろう?
暖かい布団で眠るどころか差し迫る試験の為に満足に寝れるわけが……いや、寝てはいるのか。昨日は8時間くらい眠った気がする。
みんなでなかくポチャポチャおふろこそ入ってはいないが、その気になればいつでも道後温泉に行くことくらいは出来る。
そうか、私は勝ち組なんだ。
よし、試験対策はもうヤメだ!(試験勉強ではない)
単位も余裕だ。
勝ち組の私のことだ、何もやらずとも余裕で単位を取ることが出来るだろう。
ぼくも帰ろ。アニメへ帰ろ。
こうして又しょうもない夜が更けていった。
なんか深く感動した。
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