2006年04月23日

岩手ルミナリエ旅行記1

12月7日

いつの間にか日が暮れた初冬の大学構内では、講義棟から煌々と蛍光灯の明かりが漏れていた。
その蛍光灯の照らし出す空間に私はいた。
近隣の席の学科の友人が先週京都に行ったからと、私に八つ橋をくれた。
ふと時計を見ると時刻は17時50分。程なくチャイムが鳴り響き授業の終わりを告げた。
―――嗚呼、これで今日の授業も全て終わりだ。
私は貰った八つ橋を鞄を放り込むと友人に一言挨拶し、教室を後にした。

課外活動で使っている部屋にふらりと立ち寄ったのが、18時丁度のこと。
簡単に必要な資料をプリントアウトし、大学正門に向かったのが18時10分。
既に正門には友人と、彼の母親の運転する車が待っていた。
車に乗り込むと、景色が後に流れ始める。

夜の松山市街はラッシュ時にかかり、幾分か混んではいたが渋滞するほどではない。
そもそも松山如き地方都市に渋滞するほど車は存在していないのだと言うことに気づき、改めて自分の住む街のローカルさを実感した。
―――早く都会に帰りたい。
小説坊ちゃんを記した夏目漱石は、松山の田舎に耐えきれず、すぐに熊本へ転勤してしまったという。
私もかの文豪の足跡を辿り最後は東京へと出たいものだと思いながら、夕暮れの松山の街並みを眺めていた。

30分ほどで、車は松山空港へと到着した。
19時15分発の全日空の東京行き最終便への搭乗手続きを終えると、10分程待たされて、登場開始となった。
機材はBOEING747Classic。正式にはB747-SR81。
このアッパーデッキの短い機体も、あと半年もすれば退役してしまう。
そう考えればこの機材にあたったのは幸運なのかもしれないが、実のところ、B777に乗ってみたかった。
搭乗口には長蛇の列が出来ていた。
全席指定の飛行機だから、急いで乗っても良い席に座れるという訳でもあるまいが、そこは人情なのだろうか?
私は待合室の椅子にゆったりと腰掛け、鞄の中を整理しているうちに列は短くなった。
出発予定時刻の5分前。
私は鷹揚に席から立ち上がると、搭乗口の改札機にチケットを通した。

機内はそれなりに混んではいたが、満席と言うほどではない。
窓側の3列に友人と共に座る。
窓の外には大阪行きとおぼしきDHC8-400が見えた。
タキシングが始まる。
前方のスクリーンではエマージェンシーデモが上映され、そのうち、ノーズギアからの映像が映し出された。
ベルト着用サインが明滅すると、いよいよ離陸だ。
エンジンが轟音をあげ、するすると飛行機が走り出した。
だんだんと頭があがると不意に滑走路から飛びだち、Gがかかる。
窓の外では松山の灯りがちらばっていたが、程なく見えなくなった。

近代文化文明都市東京へ向けて順調に飛行機は上昇していく。
Good Times fly―――
快適な空の旅は、忙しい日常の中で一息付ける貴重な時間だと思う。
ベルト着用サインが消えると、ドリンクサービスが始まる。
期間限定でチャイがあるあらしい。
一杯頼んでみたが、ほどよい甘さが美味しかった。

さて、機内で友人と共にこれからの打ち合わせ、そして片づけなければならない問題の打ち合わせを行う。
どうやら一休み出来る時間は、一杯の飲み物を飲み干して終わりのようだ。
やらないといけないことはまだまだ残っている。
折角窓側に座ったが、その景色を殆ど見ることなく、資料を見ながらの1時間。
やがて飛行機が降下をし出すと、浪人中から何度も見慣れた羽田空港の様子が見えてきた。
千葉と川崎方向に広がる工業地帯の灯りが次第に大きくなってくると、飛行機は東京国際空港に着陸した。

羽田空港第2ターミナル。
開業から一周年にして初めて利用することとなったが、案外これは良い。
拠点空港だけあって、ボーディングブリッジから到着ロビーまでいささか距離が長すぎるが、まぁ仕方あるまい。
間接照明が多用されたこのターミナルビルはお洒落な感じが漂い、ビジネスライクな第一ターミナルより、良い雰囲気を醸し出していた。

手荷物受け取り口をスルーして、京浜急行の駅へと急ぐ。
財布の中からパスネットを取りだし、改札をくぐる。
……振り返ると、同行の友人はまだ券売機の列に並んでいた。
大学生たるもの、常にパスネット、スルッとKANSAIそしてSUICAは常に財布の中に常備しておきたいものだ。

赤い電車に乗って、でっかい東京へ。
エスカレーターを下ると、そこに待っていたのは、赤い電車の線路の上を走る、青い京成電車だった。

羽田空港駅を出たのは21時。
一夜にして配線が変わる摩訶不思議な京急蒲田駅まで各駅に止まっていく。
成田空港行きの急行電車。
ああ、いつも乗る快速特急なら途中の立会川なんか通過してくれるのに、今日ばかりは停車しなければならない。
下り線では全席指定のWing号が駆け抜けて行く。
ノルウェー製のクロスシートに憧れながら、現実は通勤型のロングシート。
ああ、せめてこの車輌が京急新1000型かC-flayerならばと思いながら、それでも列車に揺られているうちに、品川インターシティのビル群と品川プリンスホテルが見えてきた。
そういえば2005年は品川プリンスホテルに泊まらなかったのか。
たまにはそんな年も会っても良いかと考えているうちに、JR線をオーバークロスし、列車は品川駅に到着した。

電車を降りると側面の種別幕がエアポート快特になっていた。
この先都営浅草線と京成線内はエアポート快特として走るのだという。
私が降りたとたんにこれか。
京急線内も快特として京急蒲田、品川、泉岳寺以外の駅をすっ飛ばしてくれれば良かったのに。
京浜急行電鉄株式会社は私に何か恨みでもあるのだろうか?
それとも田舎者に対する都会企業の厳しい仕打ちなのだろうか?
そのうち短い停車時間は過ぎ去り電車は泉岳寺に向けてトンネルの中へへと消えていった。

階段を下りて、一度高輪口へ。
いつもお世話になる成城石井を横目にエスカレーターで再度2階へ。
財布に輝くオレンジのモノレールSUICAに1000円チャージ。
すると地方から出てきたとおぼしき初老の婦人にSUICAのチャージの仕方を尋ねられる。
松山から来た田舎者臭さを隠しながら、東京人を取り繕って使い方を教える。

嗚呼、私はいつの間にこんな小さな存在になってしまったのだろう?
東京に住んでもいないのに都会人を気取るだけの矮小な存在。
その取り繕った仮面を取り除いた真の姿は只の田舎者。
地下鉄も無ければ、ヨドバシすら身近にない存在。

だが―――今は東京にいる。
そうさ、私は堂々と凱旋してきたのだ。
首都東京に。

ほらその証拠に私の背広の胸ポケットにはタバコの代わりにボンタンアメが入っているではないか!
(編注:東村氏は首都圏を訪れる度に、ボンタンアメを一箱ポケットに常備するという習慣がある)

私は気を取り直すと切符を買い求めた友人と共に、颯爽とJRの改札機にsuicaをかざしたのである。
タッチ・アンド・ゴーの世界へようこそ。
改札機の上では方面別の電光表示板が、出入りする列車の情報を刻々と流していた。

東海道線上りホームへ。
やってきたのは211系15連。
空席の目立つ上り列車のボックスに座り、東京駅へ。
車窓から田町区に休む東海道線の列車が見える。
183系、185系、E231系……
どれも松山では見られない都会の象徴だ。
反対側は山手線と京浜東北線が間断なく走っている。
田町、浜松町をのろのろ止まりながらゆっくりと走る山手線を追い抜きながら。
私は今、東京にいると、実感した。

(続く)


posted by 東村氏 at 21:46| Comment(1) | TrackBack(0) | 外遊記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 共に行動した後日の記録が楽しみです。
Posted by 大宇宙拡大大帝国絶対永久皇帝大帝国大元帥★ at 2006年04月24日 02:42
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