東村氏は、用事があるのでとりあえず松山から全日空便にて東京へ行き、京急と東海道線を使って東京駅に到着したのだった。
東京駅で電車を降りる。
友人は今宵の宿のある上野へ直行し、私は別の友人と会うべく四ッ谷へ向かう。
オレンジ色の眩しい中央特快高尾行201系10連に乗車する。
神田を出発すると車窓右手に秋葉原電気街の様子がちらりと見えた。
人気のない秋葉原の街並み。
そして今走っているのは昭和18年以来列車が止まらない旧万世橋駅跡地。
夜10時の東京は、まるでゴーストタウンの様にも見える。
もう少し見てみようとドアの窓から外を覗き込むと、ステンレスに黄色い帯の中央総武線電車に視界が遮られた。
四ッ谷に着くと、東京の友人は到着が遅れるらしい。とりあえず改札を抜けると目の前に上智大学が聳えていた。
ここに来るのは3月にホテルニューオータニに泊まって以来だ。
駅前は秋葉原と違って人と車の往来も多く、atre四ッ谷のネオンも輝いている。
上智大学のキャンパスは堂々としていた。
愛媛大学のキャンパスが情けなく思えるほどに。
いや、そもそも比べること自体が間違っているのだろう。
隣の庭は青く見えるとよく言うが、それを差し引いても上智大学のキャンパスはまだ青いのだろう。
愛媛大学の庭なんか、もう枯れ果てているさ。
線路に架かる橋の上から、赤坂方面を展望する。
航空警告灯が赤く明滅する高層ビル群と、眼下を数分間隔で走る黄色とオレンジの列車。
だめだ、東京コンプレックスがさらに強まるだけだ。
だがこの大都会の光景から目が離せない。
手を伸ばせば届きそうな場所にあるのに手が届かない、愛媛の現実に萎えているうちに携帯が震え、友人が到着した。
友人―――その名前を仮に四季四世とでもしようか。
古くからの読者は2002年の東京旅行記に良く出ていた彼の名前を記憶しているかもしれない。
だが今日会うのは。その当人ではなく、彼の弟だ。
四季氏(弟)とは、今年の10月に初めて会ったばかりである。
四ツ屋駅前で合流すると、彼は全身に黒のコートを纏っていた。
なるほど、四季氏の家系は黒い服が好みなのだろう。
彼の兄氏も黒い服を着ていたことを思いだした。
四季氏の野球や過去の武勇伝などを聞きながら、今宵の夕餉――焼き肉――を見繕う。
四ツ屋駅から適当に歩いてみると幾つも焼き肉屋が固まっている。
だが取り立ててこの店に行きたいというのを決めている訳でもなかったので、虚無ながら歩いていると、飲食店街が終わってしまった。
適当に裏路地に入り、四ツ屋駅の方向へ戻る。
それなりに高級そうな一店を見つけたので、入ってみた。
今夜の予算は3000円。
さて、どんなに豪勢なご飯になるのだろう?
四季氏が今日は何を食べたいと、問いかける。
私はカルビが食べたいと答えた。
すると四季氏は、メニューを軽く確認するとウェイターに特上カルビを2人前注文した。
ちょっと待っておくれ。
確かカルビだけでも五段階あったじゃないか。
そして君が今注文したのはその中でも一番高いカルビじゃないかい?
牛タンを注文する。
嗚呼、まただ。
四季氏は何種類かある牛タンの中で一番高いものを注文する。
そして彼は最後にこう言ったのだ。
「ところでお金が足りるかな?」と。
私は幾ら持ってきたのか尋ねると福沢先生を3人持ってきたらしい。
―――ああ、それなら大丈夫。
ここは東京。
世界で一番物価の高い街。
肉を腹一杯食べ終わったのが、23時のこと。
松山ではもう終電もとうの昔に終わっている時間だが、四ツ屋駅はまだまだ列車がたくさん走っている時間だ。
改札をくぐり、中央線のホームへ。
私は東京方向へ。
四季氏は新宿方向へ。
先に来た武蔵小金井行きの列車に乗った彼を見送り、自分も東京行のオレンジ色の快速電車に乗りこんだ。
市ヶ谷のビル街のネオンも行きほどの華やかさは無かったが、それでも大きなネオンがまだ灯り、外堀に映えている。
御茶ノ水駅で、総武線に乗り換える。
一駅乗って秋葉原。そこから京浜東北線に乗り換えた。
外板がベコベコにへこんだ209系に揺られ、上野駅で下車する。
駅前に出ると東京メトロの本社があった。
上野駅のペデストリアンを渡り、首都高を潜り浅草方向へ。
今宵の宿、チサンホテル上野へ。
時刻はまもなく12時になろうかとする頃。
上野のビルの合間から三日月が見えた。