2006年10月15日

連続蜜柑小説ポン〜回想編〜

 吾輩が幼少なる故にまだ物を知らぬ時分のことである。
成り行きなどは最早覚へておらぬが、祖母に手を引かれ、銀座へと歩ゐたことがたつた一度だけあつた。

 初めて目にする都会では、街の真ん中を路面電車が走り、ハイカラな服装のモボ・モガが闊歩してゐた。
吾輩は幼い心の中にデモクラシヰの粋を感じた物である。
 一際、覚へてゐるのは、三越デパァトメントのことだ。
まるで大きな山の様に聳える建物の中には、絢爛な灯りと舶来の品々に溢れ、宮中を街中に持つてきたの如しと、大変に驚ひたものであつた。

 その後、吾輩は幾度となく東京へ詣でる機会はあつたが、浅草、丸の内、秋葉原は歩けども、どうしてか銀座にはあの幼い日以来トンとご無沙汰をしてゐた。
 吾輩の住んでいた街には三越は無かつたので、結局三越デパァトメントもあの日のただ一度だけの訪問以来であつたのだ。

 やがて吾輩にも親元を離れる日が来た。
赴任先は四国の片田舎、愛媛県の新居浜と言ふ街である。
鈍行の列車に揺られて三日間かけてやうやく大阪に着ひた。
見物の一つもしたひ処だが、着ひてすぐに夜行の船に乗り換へた。
そしてたうたう着ひた先が、新居浜の港であつた。

 新居浜の街は、自然に溢れてゐる。
豊かな緑に包まれた低ひ山がどこまでも連なり、瀬戸内の海は
故郷の黒ずんだそれと比べると、随分と澄んだ蒼ひ色をしてゐる。
とりたてて、何かがあると言ふ訳ではなひが、愛媛の街らしく、蜜柑だけは豊富にあつた。
吾輩は、この街がいたく気に入つた。

 暑い盛りも終わると、紅葉が色付き、やがて冬を迎える。
冬に雪が積もらぬと言ふことに驚き、橙色に輝く当地特産の蜜柑が爛々と木になる頃になると、吾輩は幾分かの不満を覚へてゐた。


 初めこそ感動を覚へた当地の自然は、幾ばくもしなひうちに飽きが来た。
とかく娯楽がなひ。
夕刊もなければ、ラジヲもなひ。
都会の喧噪から切り離された当地の夜は、人の代わり虫がさざめき、ネオンの代わりに星が闇に輝ひてゐるばかり。
まうウンザリだ。

 或る日の事である。
だうしやうもなひ感情に襲われた吾輩はふらりと駅前の散策に出た。
木造の如何にも古ひ駅舎に並んで、小さな商店が並んでゐる。
その一つを見て、吾輩は驚ゐた。
三越デパァトメントがあつたのだ。
建物は、やはり木造の小さな物であつたが、看板にかかつてゐる屋号はあの三越だ。
東京日本橋・銀座とも書ひてあるじやなひか。
あの随分と大きな三越のことだ。
この小さな片田舎の街にも支店を持つことが出来たのだらう。
吾輩は都会の片鱗への期待を胸に抱き、扉を開けた。

 中には幾つかの薄く埃を被つたショウケェスが並んでゐる。
覗き込んで、吾輩は失望した。
陳列されてゐたのは、とうの昔に出されたラジヲと、型落ちのキャメラ。
それから国産の一番安い煙草に、贈答用のカルピスくらいのものである。

 吾輩は声を出し、店員を呼ぶと、店の奥の襖がノソノソと開き、随分と訛りの酷ひ老婆が姿を現した。
 吾輩が「この店は、かの有名な三越の店か?」と、問ふと
老婆は「旦那様の仰る通り、東京の三越デパァトメントの出先であります」と応へた。
 次に「では銀座と同じ物は何か売つてゐないひのか?」と問ふてみると、
老婆は「暫くお待ち下され」と云ひ、奥へと引き下がつた。

 随分と待たされたが、一つの箱を抱えて戻つて来た。
こんなにも吾輩を待たせるとは、よほど良い物なのだらふ。
吾輩が念を押すと、老婆は
「旦那様、これは東京の銀座の店でも扱つてゐる一流の品でござひます。どうぞご覧下され」と云つた。
 吾輩は、随分と重く、しっかりとした無地の箱の蓋を、大ひなる期待を秘めて開ひた。

 そこには眩いほどに輝く蜜柑が幾つか詰まつてゐた。
老婆が云ふ。
「銀座の本店でも扱ふ、当地新居浜特産の蜜柑です。これほどの品はなかなか地元でもお目にかかれますまゐ」

 吾輩は萎へた。

(完)


posted by 東村氏 at 10:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 妄想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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