2007年01月16日

ブリフィッシュ政策

 先日、大宇宙拡大大帝国絶対永久皇帝陛下を初めとする諸氏とサミットを実施した。
その行動記録については、追って公開するが、それに先立ち、サミットの主要議題でもあった“ブリフィッシュ”について論じたい。


 ブリフィッシュ(鰤フィッシュ)という言葉は、1930年代の日本の漁業政策を象徴する言葉であり、当時の社会風俗に詳しい者なら、一度は耳にしたことがあるだろう。
 1934年に発足した岡田内閣の山崎農林大臣(1881-1948)は、悪化する世界情勢の中で開かれた国際連盟主催の万国水産会議(1935/キプロス)に出席し、海洋国家日本としての水産資源に対するスタンスを明確に打ち出し、欧米各国から高い評価を得た。
 このような状況を踏まえ、1936年には戦前最後となった地中海遠洋漁業団が派遣され、同盟国であるイタリアを拠点にマグロなど総漁獲量3500トンを記録し、この記録は戦後の1969年まで破られることはなかった。

 さて、問題のブリフィッシュとは、この1930年代の日本の水産政策に対して、マックスウェーバーが名付けた通称であるが、オックスフォード大学などにより、秘密裏にイギリス政府に提出されたエバレット報告書(Evaret Report)にも使われるなど、戦前押収の一部の国では正式な名称としても通用した。

 日本政府の公式見解として戦前にブリフィッシュという単語が用いられることはなかったが、1936年2月に発行された「大日本帝国水産要覧」にて、1937年度の象徴魚に鰤が選定され、ブリフィッシュという言葉を意識していた形跡が伺える。

 1938年をピークに我が国の漁獲量は1949年まで減少を続けるが、この約10年にもっとも多く捕られた魚は鰤であった。
この鰤の中でも特に最上級のものは皇室御用達品として、宮中に送られたと伝えられ、鰤が我が国の政治の一つの鍵となっていた様子は明らかであろう。

 1052年に締結されたサンフランシスコ平和条約により、日本は国際社会に復帰し、遠洋漁業もまた再開された。
 高度経済成長時代を迎えた日本の一般的な食卓に最も並んだ魚は、鰤であった。(朝日新聞1954年10月8日20面)
しかし鰤の消費拡大は、同時に鰤の平均的レベルの低下をもたらし、一般的な鰤と高級な鰤(=おいしい鰤)を区別して捉える必要性が高まるようになり、日本漁業連合財団(本部:焼津市)は、1955年に本部通達として全国の加盟鮮魚店に対し、最高級の鰤にブリフィッシュの称号を授けることを求めた。

 つまり、ブリフィッシュとは鰤の中でも大変おいしい料理や個体を指す和製英語なのであるのだ。


posted by 東村氏 at 00:42| Comment(1) | TrackBack(0) | 総務 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ご苦労様でした。
Posted by 大宇宙拡大大帝国絶対永久皇帝 at 2007年01月17日 01:09
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