2007年05月27日

テロップ論

非常にどうでもいい話であるが、私はエンディングが好きである。
スタッフロールなどのテロップの出し方を中心に大いに参考となる表現手法が詰まっている。
同じような観点から言えば、オープニングも着目に値する存在ではあるが、大抵のアニメーションの場合、それなりに力を入れたオープニングが用意されているので、ある意味で工夫されたものが必ずしも見られるとは限らない。

だが映画となると話は逆転する。
大抵の場合、映画の場合センスのあるテロップの出し方などを実践しているのは、オープニングの場合が多いように思える。
逆にエンディングは画一的に、ただスタッフロールが下から上に流れるばかりでさほど面白いとは思えない。

ふむここまで書いてみたところ、どうやら非常にどうでもいいことではあるが、私はテロップの出し方に結局のところ、関心があるようである。

このまま考察を続けよう。
画面構成の問題として考えた場合、通常はテロップは邪魔な存在として考えるのが適当であろう。
しかしながら、ストーリーとは直接関係のない情報を、視聴者に提供する為に必要な物でもある。
つまりテロップとは、必要性と不必要性の両者が同時に含まれる矛盾した存在といえるだろう。

この矛盾の解決の手法として、テロップの表示そのものを演出することにより、画面上における一体感を創出し、この画面構成の障害物を自然な形で取り込む努力が日々為されている訳である。

テロップの表示自体は、必ずしもその映像作品の評価と直結する部分ではないだろう。
それはむしろ画面全体のバランスであったり、ストーリー、BGMなどにより定められるものである。

テロップは上手に表示されて当たり前である。
それは画面をより洗練させ、必要な情報を自然な形で与える為に確立した慣例であるのだ。
しかしこの部分にいくら労力を咲いたところで、全体の評価を大きく底上げする訳ではない。
だからこそ、この部分に面白さを見いだすことが出来る。

目立たないながらも、様々な工夫が凝らされ、情報として視聴者にとって認識されながらも大きな印象には残らないテロップは、ある意味でその作品の洗練の度合いを示す指標なのかもしれない。

非常にどうでもいい話なのでオチは無い。


posted by 東村氏 at 02:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 総務 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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