2005年11月28日

銀座

 いやはや東村氏の放置には全く困ったものである。
最近は割とラジオの放送回数ばかりが無駄に増えて、その分日記の更新が止まっている。
だが、ラジオで何か新しいネタを振る訳でもなく、いつも通り敬愛するみさくらなんこつと任意ラジオネタ、そしてMPSこと俺まぴょその中の人にキモイと言われる日々を送るばかりであった。

 さて、唐突に日記を書こうと思った訳だが、さりとて何か書くことがある訳でもない。
最近やったことと言えばせいぜい、魔法少女リリカルなのは(無印・A's)とローゼンメイデントロイメントを見たくらいだ。

 そういえば、来週は、所用の為に高校卒業以来通算20度目となる。今回はあまりゆっくりする余裕もなさそうではあるが、楽しみでもある。

―――そうだ銀座、行こう。

 吾輩はとくに宛もなく、ただゞブラブラと銀座の街を歩ひてゐた。街路には市電が走り、遠くに省線のチヨコレイト色の電車が走つてゐる様子が見えた。
 街並はハイカラを呈しており、話に聞く巴里の光景もまた、このやうな物であらうかと夢想するうち、省線の駅についた。しかし余はカリィを食すまで家に帰る気など毛頭無ひのでガードをくぐり、有樂町の街へと出た。
さうだ、是があつたじやなひか。
目の前には堂々たる帝國(インペリアル)ホテルがそびえてゐた。いざレストランにてカリィを食はむと思ふところではたと気がついた。
ポケツトの中には壱円札と幾枚かの硬貨、そしてたつた壱枚のハンケチィフのみ。
結局私は省線のホームにある屋台で五銭のうどんを食はさるる羽目になつたのであつた。

 折角だからと、吾輩は、赤坂に住まふ旧友桂川を訪ねることにした。省線でたつたの一駅である。これくらいならば歩けば良かつたと思ひながら、新橋で東洋一の地下鐵道と名高い東京地下鐵道線に乗り換へる。赤坂見附で電車を降りると、あとは程なくすると見覚えのある長屋が見えてきた。
 だがしかし桂川の表札が見あたらぬ。吾輩は偶然見つけた巡査に聞ひてみると。巡査は暫く待ちなさいと言つて、暫くして後、桂川が転居したことを告げたのであつた。
 全く驚ゐたことに、奴は昨年の秋に巴里へと発つていつたらしい。そんな話など聞いていない。私は妻に不満をあたり散らしたが、一向に構つてくれないので部屋の隅で蹲つてゐた。
すると見かねたかのやうに、飼い猫のクロが吾輩の方へ寄つてきた。吾輩は「ええい、畜生如きに余の心情など理解できまいて。寄るでない」と怒鳴りつけるとヤレヤレと言わんばかりに「ニヤ」と一声鳴ゐたのである。余はなんとも寂しい気持ちになつた。
 然し考へてみると悪ひのは連絡一つすら寄越さなひまま巴里へと去つた桂川であるからして、此れは一度苦情を言つてやらねば気が済まぬ。吾輩はスツクと立ち上がると一路仏蘭西へと行くことにした。
花の都、巴里と言へども過去の栄華であり、かの名高きエツフエル塔の如きに至つては、見るも無惨な赤錆が浮き、当地の生活の苦しさすら忍ばせるやうである。
 やや、話は戻るが怒りにまかせて家を出たときに、妻に出立を告げるのをついつい忘れてしまつたので、下関の船の待合から自宅に電話を入れた。今からちよつと巴里へ出かけてくるよと告げると、妻は大層驚ゐて、貴方正気ですかと曰うので、余はいやいや余は正気だよ。すぐに帰るからと言つて電話を切つてしまったのである。
 話を戻さう。私は巴里の大使館に行き、これこれそこの役人や。桂川と言ふ男の所在を延べよと言いつけた。半時ほど待たされた挙げくその役人の告げるに、桂川は一週間ほど前に倫敦へと移つたさうである。
 今から倫敦まで向かふのは些か手間であつたので、余は桂川に文句を言ふ気も失せ、祖国への帰路へと着いたのであつた。家に帰ると妻は書き置きを残し、郷に帰つてしまつてゐた。余は一人寂しく米を炊ひたのであつた。



posted by 東村氏 at 08:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 妄想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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