まともに東海の700系乗ったのって初めてな気がする>挨拶
何故か希少価値の高いJR-WESTな700や300系臨時のぞみに乗ってみたり、もしくは狙って500系に乗っていたせいか、ようやく700系の車内でABITIOUS JAPANのチャイムを聞く事が出来た。
いい日旅立ちを耳にする機会は随分とあったのだが。
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さて、擬人化せずに新幹線に萌えるとした場合、一体どの形式が萌えるのかという事を理論的に考えていきたい。
国鉄編
1000形
昭和36年竣工の試作車であるが、どこか無骨な感じがありありと残り、その直前に登場した153系のような優美さがさほど感じられない。
このあたりから割とボーイッシュな萌えに通じるものが、無理矢理見いだせるかもしれないが、非常に難しい。
結論から言えば、萌えることが難しい車両であると言えるだろう。
晩年は初代ドクターイエローとして活躍したあたりも、まるで商社マンのごときであり、車両としての評価は非常に高いながらも萌える事は難しい車両であるのだ。
0系
1000形の無骨さは、なりを潜め大型化されたヘッドライトが優美さをさらにかき立てる。
1000形でも同じであったが、アイボリーと濃紺の塗装は、まるで若々しいセーラー服の如き高貴さに満ちあふれ、新幹線に相応しい気品をさらにもり立てており、私も萌えを感じざるを得ないのである。
200系と異なり、シンプルにまとめられたスカートは思わずめくりたくなるところだが、個人的にはむしろ光全頭を捲ってやりたい。
いや、正確には、スカートめくり、次に光全頭を脱がして、中に入っている連結器を露わにしてやりたい。
しかもこの連結器はただの連結器ではない。
ねじ式でも自動式でもない。密着連結器だ。
読者諸氏は0系の密連をみたことがあるだろうか?
見た事のない諸兄は、札幌市交通局の地下鉄の先頭車両の密連を思い出して欲しい。
実用性本位の角張った密連とは異なり、突起や穴が円形に設計された密連は、ねじ式のバッファーに通じるロマン溢れるデザインであり、大いに萌えが刺激されるところである。
そう、例えるならば0系はまるで中学生の如き萌えに溢れているといっても過言ではない。
最近の新幹線は、特に東日本を中心に光全頭も無ければ、スカートにもスノープラウなどという邪道なものが早着されており、グリーンマックスのキャッチコピーでもあった「脱がす楽しみ一杯」が実践できない。
まさに車両設計者の見識を疑うところではあるが、詳しくは後述する。
200系
基本的なデザインは0系を踏襲しながらも、瑞々しい若さを感じる東海道の青から若々しいオサレなモスグリーンにイメージアップを図り、どことなくお嬢様的な雰囲気を醸し出しているが、その分ガードは堅い。
それはスカート部分を指している。
200系では、雪対策として、スカート部分にスノープラウが装着され、まるでカッターの刃のごとき突起が、近づくヲタクを威嚇し、その結果200系の萌えを低下させてしまっている。
平成になってから、施行されたリニューアル工事により、運転台周りの構造が一新され、平面ガラスの突き合わせが局面ガラスに変更され、目元の優美さが増す結果となった。
整形手術に通じる変更もあるが、私はむしろ眼鏡を外したものとして認識するべきと考える。
しかし200系の萌えについて語るときは、これらよりもむしろ山形新幹線開業から始まった併結対応化について触れなければならない。
これは200系は淫乱と言わしめる最大の要因である。
そもそもは極めて特殊な状況でしか見る事の出来ない密着連結器をあろう事が自ら白昼堂々福島駅でさらけ出すという前代未聞の状況を引き起こし、車両としての萌えを大きく低下させたことを私たちは決して忘れてはいけないのである。(但し萌えと引き替えにバルキリー的な変形の燃えは増加した)
100系
萌えでなく、むしろ燃えに近い。可愛さはないが格好いい存在である。
つまりはイケメン以上
東海道編
300系
たれ目すぎて趣味でない。
300系の問題である点は、先頭車の断面図が、極めて単調であり、0系のような凹凸がほとんど無い事である。
このあたりから、300系を新幹線屈指の幼女的外観と論ずる事も出来るが、300系のデザインと貧乳は全く別のベクトルを持っていると指摘する事が妥当である。
そもそも300系は、デザイン上のインパクトは非常に大きかったが、上半身と下半身の境界線がわかりにくくなるという欠点を生じさせた。
スカート(=台枠)の切れ目が一見するだけは判らず、そのまま車体と一体形成されてしまい、要はデブ体型に近いものとなってしまったのだ。
300系の凹凸のなさは、よけいな肉が付いたブタと同様のニュアンスを含むものであると認識するべきなのだ。
また全面窓の形状も、どことなくタレ目気味であり萌えをそそるとは到底言い難い。
このような観点から考えても、300系に萌えを見いだす事は難しい。
500系
丸い。故に萌える。
500系を正面から見ると、断面図が極めて丸いという事を強烈に実感する。
まるで茶筒のようなこの丸さは非常によろしい。
車内からも丸さが実感できる。
確かに居住性は700系などと比べても劣るが、この丸さがいいのだ。
この丸さから生じる萌えは、個人的にツインテールが持つ萌えと同義であると考える。
ツインテールの極意とは西洋的シンメトリーとツインテールそのものが描く半月状のシルエットにある。
さて、私たちが500系の丸さを実感するのはどの瞬間であるか考えた事はあるだろうか?
結論から言えば、それは乗降時に他ならない。
より細かく言えば、乗降時に扉に片足を載せ、編成全体を見やる瞬間に私は500系に最大の萌えを見いだせると確信している。
この時、大いに着目すべきは500系の扉がプラグ式であるという点である。
ご理解頂けるだろうか?
つまり500系の断面形状を頭に見立てたとき、その頭から両側にプラグ式のドアが装着されていることになる。この扉はまさにツインテールのテールの部分に相当するのであり、故に500系の丸さはツインテールが描くシルエットに近似し、結果としてツインテールと同様の萌えを私たちに与えてくれる。
またツインテールは幼女によく似合うが、500系の先頭部をよく観察して欲しい。
曲線により運転台を含めた滑らかなシルエットが浮かび上がるが、まさにこれは貧乳と同じシルエットであるのだ。
貧乳=幼児体型=幼女という公式を持ち出すまでもなく、500系はそのデザイン上の特色が極めて幼女的であり、さらにツインテールを各車両ごとに有する事で、その幼女度合いは高まり、スポンジも満足な萌えを全体から生じさせるに至った訳である。
つまり500系の丸さとは幼女の可愛さと同義であり、故に500系には0系のような中学生的な萌えとは異なる魅力ある萌えが存在しているのだ。
以下、次回更新へ続く
まとめ
・0系には中学生っぽい萌えがある。
・200系はお嬢様。多分女子校。萌えはあるが、ガードが堅い。厳しさの反動か、JR化後に淫乱になった編成も存在する。
・100系はイケメン。萌えない。
・300系はデブ。イラナイ子。こだまとして三島でひかりに抜かされ、熱海でのぞみに抜かされ、静岡県内をはいずり回って名古屋で運転を終えるのがお似合いだ。
・500系はツインテール。幼女的な萌えがある。