後輩からかりた50円を返す目処がつきません>挨拶
国立最底辺の呼び名も高い愛媛大学から新快速(政府専用機=自転車)で5分ほど走ったところにある地場最大手のスーパー「フジ」道後店。
私は、所要がありこの店に向かって順調に大通りを走っていた。
5月も半ばに近づき、夜とはいえ、空気は温い。
やがて、ビジネスホテルの前を通り過ぎると緩やかなカーブを描く幹線道路沿いに聳えるフジが見えてきた。
玄関付近に駐輪し、施錠を確認すると、私は悠々と店に入っていく。
自動ドアをくぐり抜けた瞬間にヒンヤリとした冷房の効いた空気が涼しかった。
エスカレーターを上り2階へ。
ここに100円ショップが入っている。
溜まりに溜まりまくった同人誌即売会のチラシ(そのうちの半分は先日開催された博麗神社例大祭のものだ)を効率的にかつ美しく良い状態で保存すべく、B5版のクリアファイルが欲しかったのだ。
時刻は閉店時間の20:00に僅かに余裕があるくらい。
とりあえずぐるりと店の中を廻り目当てのファイルを見つけるまではそう時間がかからなかった。
ファイルを手にし、会計に向かう。
漠然と今夜の夕食に食べるものがないことに思い当たり、1Fの生鮮食料品売り場で半額総菜(=神の足跡)でも漁ろうかなどと考えながら……
レジに行くと、初老の婦人がなにやら包んで貰っていたが、程なく去っていった。
対して待たされるまでもなく、会計はあっさりと終わる。
「105円になります」
バイトだろうか?
若い女性店員はマニュアルに従い、レジスターのディスプレイに表示されてる金額と同じ額を告げてくる。
いや、分かっているさ。
100円ショップで1つしか商品を買わなかったんだ。税込みで105円なんて今日び小学生で理解出来る定理にすら等しい。
ポケットにねじ込んだ財布を取り出し、小銭を見る。
―――空だった。
そうだ、思い出した。
この間の飲み会の精算をやった際に、小銭を大量に押しつけられて財布が随分と重くなったから、小銭を全部貯金箱に放り込んだんだっけ……
105円くらいで札は使いたくなかったのだが、この際やむを得まい。
千円札を出そう。
―――なかった。
そうだ、思い出した。
昼に本日発売の「鉄道ファン7月号」を購入した際に財布の中にあった札を全て使い、お釣りは大学生協のICカードにチャージしてしまったのだ。
抜かった。
お金がない。
これは困った事態である。
だが店員に言えない。
言える訳がない。
100円ショップでたった1つだけの商品を買うのに、
スイマセン、財布の中に現金が入っていませんでした。この商品を買えません。なんて!
そんなのはこの私のプライドが許さない。
だが時間はない。
店員に金がないと言うことを悟られてはならない。
一瞬のうちに何か対応を考えないといけない。
100円ショップに負ける訳には、いかない。
僅かな間すらなく、私は優雅な動作で財布の中に現金がないことを確認すると動きを止めることなくクレジットカードを取り出した。
国際的に著名なカード会社のロゴが輝くカードを取り出し、まるでウェッジウッドのティーカップを何の躊躇いもなく買うように店員にカードを提示しながら、
「カードでお願いします」
と、告げたのである。
正直私は安堵していた。
現金が無く、商品が買えないという最悪の事態を回避することが出来てだ。
カード社会は素晴らしい。
いつも困ったときに助けになってくれる。
私が幾ら(同人誌を買う金が無くて)困っていても、1円たりとも貸してくれないスポンジと大違いだ!
不慣れなバイト店員はカード決済が初めてだったらしく、戸惑いながらもなんとかカードを切ってくれた。
「あの、お支払い方法は?」
105円の商品である。
まさか分割にする訳がないだろう。
「一括でお願いします」
私は流暢に返すと、クレジットの明細表に読みにくい文字でサインをすると、一目散に店を出た。
冷静に考えてみれば分かることではあるが。
105円の商品1つにクレジットカードを使うことも又、相当に恥ずかしい事態である。
下りのエスカレーターに乗りながら、現金が無くて買えないのと、105円お貯めにカードを切ること、どちらがより恥ずかしいかと考えていた。
サービスカウンターの前を通り過ぎたとき、店員の目線が恐かった。
生鮮食料品売り場にいた主婦達の目線が恐かった。
(ちょっと、あの客、105円如きでクレジット決済ですって)
(まぁ恥ずかしい!自分がカード持ってること自慢したいだけじゃなくって!)
きっとそんな会話がされているに違いない。(被害妄想)
自動扉の外の世界は先ほどと同じ、生ぬるい空気に包まれていた。
私は齧り付くように政府専用機(自転車)に跨ると、逃げるように全力でフジ道後店を去った。
この国辱的なミスから逃れたい一心で。
もう、この店には、行けない。