2005年10月16日

小説『国家非常事態宣言』第4話

 巡洋艦いしづちでは、品津中佐と香野准将が対立していた。
 「艦長、陸上からは明確にクーデターだと言ってるんですよ!自由に動ける我々が動かず誰が動くんですか!」
 品津は香野に詰め揺る。
 「待ちたまえ、我々はどこの指示に従うのか、まずはそこを明確にしなければならない。仮にもクーデター軍が既に実権を掌握したなら、彼らこそが正規の命令体系になる。落ち着け」
 品津は一端香野から距離をおく。
 「しかし艦長、陸上は明確に彼らをクーデターだと言いました。これは中央の司令部はまだ残っている証拠です」
 他の士官達は黙って様子を見守るばかりである。
 「艦長!決断を!!」
 艦橋が重苦しい沈黙に包まれた。
 「……よし、動こう」
 香野が告げる。
品津がすぐに、
 「攻撃命令と解釈致します、よろしいですね?」
 「ああ」
艦内の空気が一変した。


 軍の回線を傍受した佐和田は、自分の描いたシナリオ通りに事が運んだことを確認すると、ヘッドセットをはずした。
内務省警察庁に設けられた情報連絡室は、プライベート回線を除く秘匿回線を全て傍受出来るステムになっている。
あとはこの長い時間の緊張に晒され、暴発寸前の実働部隊が勝手に動いてくれる。
警察庁庁舎から外を眺めた。
 この眼下に広がる平穏な街に実弾が一発でも落下すれば彼の目論見は達成される。
軍は発言力を失い、吾妻村内閣は倒れ、市民に恐怖が広がり、国内が大混乱に陥る。
混沌の海を進むときに必要なツールはただ一つ、情報のみだ。
佐和田は吾妻村に取り入り、表向きは首相直属の、しかし実体は彼個人の情報機関を創りあげた。
軍上層部が不可解な国家非常事態宣言を出したとき、瞬間的に彼の頭の中に閃いたシナリオは完璧だ。
彼はこの偶然掴んだチャンスに感謝した。
情報を操作し、噂をもとに人々を、そして組織を操る。
彼にとって見れば、軍全体、政権全てがただの掌の上で意のままに踊らせる駒に過ぎない。
遠く瀬戸内海の方向から微かな光の筋が打ち上げられるのが見えた。



 安河司令長官は、全ての手配を終え、デスクにてようやくくつろぎを得ようとした矢先だった。
副官の陣野がノックも無しに駆け込んでくる。
 「長官!軍の指令が我々をクーデター扱いにしました!」
安河は冷静だった。
 「どういうことかね?」
 「先ほど、軍の斉送システムを通じ、クーデターの発生と現場判断による対処指示が出されました!!」
一体誰が……!!
安河はあまりの事態の変化に戸惑ったが、既に事態は動いている。
幸いにも自分はまだ冷静を保っている。
 「司令室に行く!!陣野副官、君はただちに全軍にその命令を取り消しを伝えよ。直轄部隊を固めろ!」
 「了解しました!」
陣野が駆け出す。
安河司令長官もまた、急いで階下の全軍司令室へと向かった。

 吾妻村首相は、公邸内に設けられた記者会見場にいた。
佐和田のセッティングにより国内主要メディアの当直記者達が集められていた。
国営放送を始め、民放各社も放送内容を変更しての生中継となった。
 「国民の皆さん、大変残念なお知らせです。先ほど、安河軍最高司令長官を中心とする一派がクーデターを起こしました。彼らは軍務府の建物内から、国家非常事態宣言を発令し、被民主主義的な手法にて我々の正義と平和を奪おうと画策したのです。私は彼らと断固戦います。国民の皆さん、そして良識或る統合軍の諸君、クーデターに屈さず我々の正義を守り抜く為に私に協力して欲しい!!」
 安河が全軍に打ち消し命令を出す直前、佐和田の勝利が決まった瞬間だった。
公共の電波に乗せられた吾妻村のアピールは、安河を反逆者の座に位置づけ、正統性を自らの手に納めるのに充分すぎるほどだった。
既成事実は創りあげた。
あとは軍が計算通りに動くかどうかだ……


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小説『国家非常事態宣言』第3話

 内閣総理大臣の吾妻村は、いらだっていた。
国家非常事態宣言が軍部から一方的に発令されたことも気に入らなかったし、なによりも彼を不愉快にさせていたのは電話の一本もよこさないことだった。
 「一体どういう事だ!私を差し置いて勝手なことを……」
既にこの段階で吾妻村は現在審議中の国家予算から国防費の報復削減を決めていた。
まぁまぁと彼をなだめる秘書の苦労はたいしたものであろう。
首相公邸の直通電話が鳴り響いた。
 「私だ。どうした……?」
電話をかけてきたのは首相直属の情報機関、『政策調整会議』の議長を務める佐和田からだ。
佐和田は独自のルートを使い、軍の内部から情報を調べていた。
 「何だと!!それは間違いないのか!!」
佐和田からもたらされた真相。
もしこれが真実ならば……


 「なあ、松伊―――――」
 話しかける弘瀬を手で遮り、松伊は傍受した通信の内容に耳を傾けた。
特殊な符号が使われている。デポット?なんだそれは?
軍務府本部からの出動要求、そして宮殿から承認……
通信が終了した。
 「弘瀬、デポットという符合に心当たりはあるか?」
弘瀬の表情がハッとし、強張った。
 「ああ。知っている―――」
松伊は無言で続きを促す。
 「デポット、つまりDEPOTとは国内特殊計画執行部隊、Domestic Extra Project Operartion Teamのことだ。」
 「まさか!!あのクーデター要員の特殊部隊か!! 」
弘瀬が頷く。
 松伊にはこの奇妙な国家非常事態宣言の裏が見えてきた。
どうやら軍務府の首脳部はクーデターを画策しているらしい。
 「噂には聞いたことがある。どこまで本当かわからん。ただDEPOTという名前で、いつでもクーデターを起こせる準備が整っているという噂、聞いたことがあるだろ?」
 弘瀬の言うとおりの噂を耳にしたことがあった。
そのデポットという名前こそ知らなかったが、同期の情報部に行った奴から存在の片鱗は聞いたことがある。
その同期、丈納は2年前に演習中の事故で死んだ。
いや、正確には行方不明になった。ただ彼は失踪と同時に二階級特進を果たした。

 松伊は自問する。
――――――丈納は消された?
 どうして?
――――――DEPOTの存在を知った為に
 では次はどうなる?
――――――俺がやられる。

 どうやら弘瀬も同じ事を思ったらしい。
 「なあ、弘瀬。丈納のこと、覚えてるよな?あの死んだ……」
無言で頷く。
 「お前、さっきの話、もしかして丈納から聞いたんじゃないのか?しかも奴が姿を消す直前に――――――」
弘瀬の目が松伊の推測を肯定していた。

 しかし判らない。
なぜこのタイミングでのクーデターなんだ?
軍務府最高幹部の連中がクーデターをする理由が見あたらない。
少なくとも、彼らが別の勢力と対立するような問題は起きていなかったはずだ。
松伊の推測は広がり続ける。
 胸元にあった携帯電話がブルブルと振動した。
発信者名を見て――――――戦慄した。
表示されてはならない名前。
内閣政策調整会議会長 佐和田隆
松伊は何食わぬ顔で携帯を内ポケットに仕舞うと、トイレに行くと言って部屋を出た。

 松伊は辺りに誰もいないことを確認すると、素早く通信用ヘッドセットのジャックを携帯に付け替える。
そして発信。
佐和田はすぐに出た。
 「原因が分かった。軍上層部と吾妻村首相の水面下での対立だ。君も傍受したとおり、DEPOTが動き出した。やつらは夜明けには全てを完了させるつもりだ。安河司令長官自身がはっきりと明言した」
 「私にどうしろと?」
 「君は軍の実働部隊の通信を一手に引き受けている。君を通じて吾妻村首相の特命でクーデター部隊を殲滅させるように働きかけて欲しい。」
 「偽の命令を出せ、と?」
 「いや、違う。これは正式な命令だ。全ての命令は吾妻村首相が首相権限で追認する。首相も又、軍統帥権を持っているのだよ。」
 「――――――」
 「松伊中佐、やらないと、君がやられるだけだ。よろしく頼む」
そして電話が切れる。

 松伊はしばらくとまどい、じっとリノリウムの貼られた廊下を見つめていた。
 ―――もう時間はない。
松伊は意を決すると、オペレーター室に戻り、マイクを掴んだ。
 「本部から全軍、本部から全軍―――クーデターが発生した。各員は反乱軍を無力化する為に自主的に行動されたい」

続く
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2005年10月03日

小説『国家非常事態宣言』 第2話


 巡洋艦「いしづち」艦橋は張りつめた空気の中、指示を待っていた。
しかし一向にその気配がない。
 「艦橋より通信、状況について報告されたい」
 「こちら通信、0二一一現在変化無し」
 「…だそうですよ、艦長」
ウンザリとした顔つきを隠すことなく、品津は香野艦長に告げた。
 「どうしたんだろうねぇ」
 「こちらから問い合わせるように指示してみましょうか?何か手違いでもあったのかもしれない」
香野の返答を待たずに八本通信長に陸上との交信を指示し、彼はコンソールに目線を落とした。
 (こんな手違いなどある訳がない。この非常事態宣言には裏がある……)
暫くして、八本から連絡が入る。
 「待機を続けられたいとの返答でした」
かくして「いしづち」は指示を待ち続ける―――


 「長官、よろしいでしょうか?」
控えめなノックと共に副官の陣野少佐が入ってきた。
鷹揚に頷くと、陣野はいつも通り落ち着いた足取りでデスクの前に立った。
 「何か進展があったのだな…」
 「ハイ、良い報せと悪い報せが一つずつありますが…」
安河は目を瞑り、椅子の角度を僅かにずらし
 「聞かせてもらおうか」
陣野はわずかに目線を逸らした。
 「特捜班を現場に急行させましたところ、発見されたそうです。
直ちに確保し、安全な場所まで移動させました……」
安河は目を瞑ったまま、先を促す。
 「しかし状態は極めて不安定で、現場の装備では元に戻すのは困難であるという報告が入っております」
安河はまだ沈黙を保ったままだ。
 「……そうか、ご苦労だった。また何かあったら知らせてくれ。
上には私自身から報告しよう……」
陣野は敬礼をし、踵を返した。

 安河はデスクの上の電話を取る。
手帳から直通電話番号を引く。
(クソ……見えないっ!!)
手帳を顔に近づける。
40cm……30cm……まだ見えない。
…20cm……見えた。
番号をプッシュする。
きっちり3コールでオペレーターが出た。
 「ああ、私だ。軍最高司令長官の安河だ。国家非常事態宣言について皇帝陛下に繋いで頂きたい。……ああ、私です。先ほど、特捜班から発見したとの報告が入りました。ええ、そうです。いえ……解除は出来ません。はい……発見されたときは既に大破していたそうです。」
彼の電話先にいるのはこの国の最高権力者。
公開されているのは唯一「皇帝」という肩書きのみ。
全ては謎に包まれ、元首たる吾妻村首相ですら、数えるほどしか会ったことがないという。
 「―――いえ、予算的には大丈夫です。私の裁量で動かせる機密費がありますから……はい、大丈夫です。痕跡は全て消せます。夜明けを待って、直下の技術部隊を動員するつもりです。……はい、わかりました。よろしくお願いします……では、失礼します」
安河は受話器を戻すと、再び窓外へと向かった。
 雲のない月明かりの明るい夜―――
そして彼の指揮する軍人達の心の晴れぬ夜はまだ空けない―――

続く
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2005年10月02日

小説『国家非常事態宣言』 第1話

この作品は全てフィクションです。実在の人物、組織、団体とは関係ありません。



UPFG2005 Presents



東村 監督作品



国家非常事態宣言






軍務省情報局情報管制室

 時刻は深夜1時過ぎ。
煌々と蛍光灯の眩い灯りの下で当直の松伊中佐は、同僚らに隠れて欠伸をした。
彼の働くセクションは、全国に散らばる軍務省・国防軍の各施設からの緊急報告を受け取り、中央からの指示を下す部門である。

 室内では演習時ともなれば緊迫した空気が漂うが、先日、年度の最大イベントの総力有事演習を終え、幾分かゆったりとした空気に満ちていた。
 「おいおい、欠伸かよ」
振り返ると、同期の弘瀬中佐がコーヒーとおぼしき紙コップを二つ手に持ちながら立っていた。
 「おっと、これは良くないところを見られたなぁ。玉木大佐に見つかったらまた規律がゆるんでいると小言を食らうところだった」
お互いに軽く笑いあい、弘瀬からコーヒーを受け取る。
熱いブラックコーヒーで眠気を吹き飛ばさないと。
この退屈な夜勤はまだまだ続くのだから。
 「それにしても、」
弘瀬が続ける。
 「最近は静かになったものだな」

 冷戦の終結以後、深夜のスクランブル(緊急発進)はめっきり減った。
加えて、地方司令部の指揮権強化の方針もあり、わざわざ中央の指示を待たずに現場の判断や、基地の指令で動くことも多くなった。
 「ああ。だが、何もないのは何よりさ」

 退屈な夜勤も平和の証。
おかげで国民は安眠をむさぼることが出来る訳だ。
そうさ、俺たちは世間様に立派に後見している。

 「さて、じゃあ俺は仮眠に入るから。あとはよろしくな」
弘瀬が憚ることなく大きな欠伸をしながら部屋から出て行く。
松伊は軽く手を挙げ、彼を送り出すとコンソールに向かった。
するとあたかも彼がコンソールに向かうのを待っていたかのタイミングで、ブザーが大きくなった。
続いて赤い警告灯が点灯する。
松伊は反射的にマイクに向かう
 「こちら情報管制、何があった!?」
 「えーこちら軍司令部、只今軍司令長官権限で国家非常事態宣言が発令されました」

 国家非常事態宣言。
戦闘のみならず地震や大規模事件などの緊急事態が発生した際は、その規模などに応じて幾つかのランクが定められているが、国家非常事態宣言はその中でも最高ランクにある。
一体何が起きたのか……

 仮眠室に行ったはずの弘瀬もいつの間にか松伊の後に戻ってきていた。
 「状況は?」
せかすように松伊に問う。
 「いや、わからない。とりあえず国家非常事態宣言が発令された。司令部からだ。急いで緊急呼集をかけよう。マニュアルのチェックリストを任す。こっちは伝達文の起案を行う」
 「わかった。」
弘瀬は素早くロッカーからチェックリストを引きづり出すと、関係者に情報の伝達準備を急いだ。
45秒後には一斉放送システムを用いた国家非常事態宣言が全国へと伝達されていた。



 統合軍第3艦隊巡洋艦「いしづち」で当直に当たっていた八本大尉(通信長)は、中央からの国家非常事態宣言に驚き、慌てて艦橋へあがった。
 時ならぬ彼の出現に品津中佐が訝しげに顔を向ける中、大声で叫んだ。
 「本日0138、国家非常事態宣言が発令。総員緊急配置の上指示を待て!!」
品津は反射的に前にあったマイクを取り上げ、館内に告げた。
 「総員緊急配置!総員緊急配置!!本日0138、国家非常事態宣言が発令された。総員緊急配置の上指示を待て!!」
緊急配置に伴い、艦内の灯りが落とされる。
開け放した扉の向こうの廊下が暗くなった。
 「他に本部からは何もありません。通信室に戻り、新しい入電があり次第お知らせします」
八本は慌ただしく敬礼を済ますと、通信室へと戻っていった。
入れ替わるように香野准将が悠然と艦橋に姿を現した。
 「国家非常事態宣言とは穏やかじゃないね、何があった?」
 「まだ判りません。とりあえず規定に従い緊急配置だけはかけました。あとは陸からの連絡待ちです」
 品津の返答に納得した訳ではなかったが、陸上から連絡がない限り、今回の詳細情報を得ることが出来ないだろう。
香野はわかったと短く返すと、いつもの定位置―艦橋中央―に陣取った。
 遠く緊急配備につく乗組員の動きが一段落すると、緊張したままの待機となった。


 「こちら情報管制、先の非常事態宣言に関する詳細問い合わせが各地から続出している。一体何があった!!?」
松伊はマイク越しに、軍務省の通信官に向かって怒鳴りつけた。
非常事態宣言発令から35分以上も経過するのに、詳細情報が入ってこない。
前線からはこれからの指示を含めて様々な問い合わせが錯綜し、混乱していた。
スピーカーから困惑に満ちた声が響く。
 「情報管制、暫く待たれたい。追って返答する」
 「もう何回その返事を聞かされたと思ってるんだ!!早くしてくれ!」
弘瀬がぽつりと呟いた。
 「それくらいにしておけ、この様子だと向こうの通信官も情報を持っていないようだ」
松伊は不服そうな表情を残しつつ、弘瀬の方を振り返る。
 「いったい何なんだ。この騒ぎは。国家非常事態宣言だけ発令しておいて何の音沙汰もない……」
 点滅する、非常宣言警告灯の赤い灯りを忌々しげに睨み付けたとたん、地方から詳細問い合わせの通信が廻されてきた。


 「長官、国家非常事態宣言発令完了。部隊の配置が進みつつあります」
 長官――安河帝国軍最高司令長官は陣野副官の報告を受けるとすぐさま次の指示を出した。
 「よし、別名あるまで待機を命じろ」
 「はッ!」
 陣野は指示を伝えるべく、長官室に隣接した非常本部へ駆け込んだ。
安河は窓から眼下に広がる首都の光景を眺めようとした。
―――が、出来ない。
 (視力が……、ダメだ。戦況は悪化している……)
国家非常事態宣言の発動はやはり正しかった。
まさか軍の最高責任者たる私がこのような状況に置かれるなんて……!!
 「長官、大統領府から国家非常事態宣言の発動について問い合わせのお電話が入っておりますが」
扉から陣野が顔だけ出して、指示を仰いだ。
 「こっちに廻してくれ」
安河はデスクへと戻ると受話器を手にした。
 「長官、内線4番です」
4をプッシュすると、すぐに回線がつながった。
 「お待たせしました、私です。今回の宣言は私の裁量で発動させて頂きました。現段階では国家的な危機に私自身が直面していると言うことしか申し上げられませんが…」

 戒厳令さながらに武装された歩哨が軍務府付近にも配備され、全ての部隊がすぐに動ける状態を整えた今、国家非常事態に対する準備は完全に終了した。

続く
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2005年09月29日

メイド喫茶(前編)

 先日、私の住む街松山に新しく出来たメイド喫茶に行ってきた。
 院生の某先輩と共に出かけたのだが、彼からその時のレビューを書けと言われたのでつらつらと感想なぞを述べたいと思う。

 さて、松山のメイド喫茶について語る前に概論的にメイド喫茶全体について無駄に語りたい。
そんなどうでもいい話などすぐに止めたまえと、ムスカ口調で告げる読者諸氏も居るだろうが、そんな奴らはポアしてやる。
口でクソたれる前と後に『サー』と言え!分かったかウジ虫!







――― 2003 March Sapporo City ――


 当時、公務員勤めをしていた私は、札幌都心の狸小路を歩いていた。
3月上旬の札幌ともなれば、次第に暖かくなり雪も融け始め、春がもうすぐ傍に近づいているのが感じられるのが普通であった。
ただどうしたことか、この日は朝からずっと冷え込みが続き、そんな気温もあって私の気持ちは沈みがちだった。
もちろんまだまだ日が暮れる時間は早い時期である。
このときも辺りは既に夜とっていい暗さだった。

 そう、あれは給料日の前後だった気がする。
当時の私は給料日にはらしんばんへと行き、成年コミックを幾冊か買い求めるという健全なヲタライフを実践していたのがまるで昨日のように想い出される。
それもそうだ。
あの時からもう3年近くたつ今でもそんな生活パターンは変わっていないのだから。

 話がそれた。
とにかく、私は夜の帳の降りた札幌の街中を歩いていたのだ。
創成川――札幌市を南北に流れる運河――の畔の高層ホテルには航空標識灯の赤い灯りが瞬いていた。
 (ハァ…)
ため息と共に高層ホテルを見上げると、その窓からは柔らかな白熱灯の灯りが漏れていた。
―――ああ、きっとあの窓の向こうでは、くつろぎの空間が現出しているのか……
うらやましくないと言えば嘘になる。
自分の姿を見ればよれたコートを身に纏い、手に提げた鞄の中にメロンブックスの紙袋に包まれた同人誌…
そうさ、私は負け組だ。
大学に落ちた社会の落伍者だ。
そんなモヤモヤとした半ば自棄な感情を胸に抱えながら吐いた息は白く色づいて消えた。

 そう、あのときの私には何もなかった。
春が近づくにつれ、心の重荷が増すばかりだった。
あの当時――2003年の冬から春にかけた時期、私はその胸の内に何の希望も見いだすことが出来なかった。
 大学受験に失敗し、務めていた仕事も月末で退職が決まっていた。
もちろん4月から行く先なんてある訳無い。
これからどうやって食べていけばいいのか?
―――否、生きていけばいいのか?
自分の未来が開ける要素なんて何もない。
だから私には何もない。あるとすれば、もう手の届くところに絶望と不安に彩られた暗雲のような日々が残るだけだった。

 まあ、そんな感じで街の中を気晴らしに歩いていたとき、私は一件の喫茶店と出会ったのだ。
Cafe Primevere
先月オープンしたばかりの札幌初のメイド喫茶。
まだ地方都市にそのようなものがあるのが珍しかった時代の話である。
ともすればコスプレ風俗とメイド喫茶が混同されていた時代。
2ちゃんねるがテレビに少しでも取り上げられるだけで祭りになっていた時代。
 (ここが、あのメイド喫茶か……)
話に聞いてこそいたが、まだ訪れたことのないメイド喫茶。
気がつけば、私は吸い寄せられるようにガラス戸に手をかけていた。


■ Chapter2

 カラカラと乾いた音と共に引き戸を開ける。
中からの空気が眼鏡を曇らせる。
 「おかえりなさいませ、ご主人様」
眼鏡を拭き、かけ直すとそこには1人のメイドさんが立っていた。
なんだか自分と、この向かい合っているメイドさんだけがこの空間にいるような気がした。
いや、奥には執事の姿もある。
一歩店の中へと入ると、席はほどよく埋まり、幾人かのメイドさん達が忙しそうに、そして楽しそうに店内を飛び回っていた。
 外の寒さを忘れさせる暖かな空気が店の中に満ちていた。

 促されるままに席に案内される。
メニゥを見て、紅茶を頼んでみた。
暫くすると、メイドさんがティーセットを持ってやってきた。
ティーカップを置き、ポットからお茶を注いでくれる。
琥珀色の鮮やかな紅茶がかぐしい香りを昇らせながら、注がれる様をぼんやりと眺めていた。
ミルクは多めに、砂糖は控えめに。
ほどよく熱い紅茶を一口含むと、体の芯から温まるかのような気がした。
淡く色づいた灯りの下、幾分かアンティークな椅子に腰掛け紅茶を頂く。
 うん、これだ。
これこそ私が求めていた一時であり、空間なのだろう。
せめてこの場所にいる時くらいは嫌なことを忘れよう。
この場所は日常ではない。創られた空間だ。

 私は現実の自分を取り巻く環境から解放されたかのような気分を味わっていた。
壁に掛けられたクラシックな時計がボーン、ボーンと時を告げる。
きっちりと9回。
ふと気付くと、もうこんな時間になっていたのか。
ふと見回すと他に客はいない。
奥の厨房の灯りも落ち、人影は見あたらない。
 「……閉店時間は、8時なんですよ」
後からかけれた声に振り返ると、メイドさんがいた。
そう、始めに店に入ったときに案内してくれたあのメイドさんだ。
腕時計に目をやると長針と短針が綺麗な直角で交わっていた。
 「え…あ…ス、スイマセン……」
私はふと我に返ると急いで荷物をまとめ、椅子の背にかけたコートを羽織ろうとしたが、慌てていたせいだろうか、コートがどこかにひっかかり思い通りに着込めない。
メイドさんは微笑みながら、
 「そんなに慌てなくても大丈夫ですよご主人様。もう1時間も閉店時間をオーバーしているんですから」
   と、私に告げた。

 そこで気がついた。今お店にはこのメイドさんしかいない?
もしかして、私がいつまでもぼんやりと席を立たないでいたから残らせてしまったのだろうか?
いや、間違いなくそうに違いない。そうとしか考えられない。
 「あの…ひょっとして……」
私にみなまで言わすことなく、メイドさんは微笑みを絶やさぬまま返す。
 「ハイ。ご主人様があまりにも落ち込んでいらっしゃるようだったので」
つまり、私のことを気遣って一時間も待っていてくれたというのか?
ああ、なんて悪いことをしてしまったのだろうか…
自分1人の問題で他の人に迷惑をかけてしまうなんて。

 この時の私の様子はよほど落ち込んだように見えたのだろう。
 「あの…私のことなら気になさらないで下さい。私が自分から待たせて頂いただけのことですから……」
今度は余計な気まで遣わせてしまった。
つくづく自分のダメさ加減を実感させられる。
ふと窓ガラスの向こうに目がいった。
黄色や白い光筋が近づいては赤い帯を伸ばして消えてゆく。
家路につく車の途切れることのない列がどこまでも続いている。
この車には家という行き先がある。
では私の行き先は一体どこなのか?

 なんとなく気まずい空気になってきた。
 「…それでは、もう―――」
”―――帰りますので。色々とありがとうございました。そしてすいません。”
そう、口にしかけたのと同時だった。
 「…ぁ、あの…まだお時間に余裕はありますか?」
 「え?」
メイドさんは、ことさらに明るい笑顔を作ると、
 「よろしければ、お茶をもう一杯召し上がりませんか?もちろんお代はサービスです」
そう言って、返事を待たずに厨房の奥へと姿を消した。
一呼吸おいて半開きの扉から灯りが漏れてきた。


■ Chapter3

 壁掛け時計がボーンと一回音を響かせた。
長針がくるりと下を向いていた。
まるでそれが合図だったかのようにメイドさんが大きなポッドと2つのティーカップをワゴンに載せてやってきた。
 「では失礼しますね」
メイドさんは慣れた手つきで、私の前にカップやスプーンを並べていく。
程なくかぐわしい香りと共に鮮やかに色づいた紅茶が2つのカップを満たしていった。

 「まだ熱いから、気を付けて下さいね」
 そう笑って言いいいながらメイドさんは、自分のカップを口元に運ぶ。
 「ぁっ…」
 温度が高すぎたのだろうか?
小声を漏らしながらも一口含むと、少しばかり味わってからこくりと小さく喉が動いた。
思わずマジマジと観察してしまうと、メイドさんは困ったかのようなはにかんだ笑みと共に私にも紅茶を勧めた。

 「ふぅ…」
 一杯の紅茶がここまで美味しいと感じたのは初めてだ。
ゆったりと時間が流れて行く。
静かな時間。都心にありながら、都会の喧噪から離れた空間が広がっている。
しばらく互いにお茶を飲む微かな音だけが店の中を満たしていた。
カチャとティーカップが置かれる音。
メイドさんのティーカップは、まるで新雪の積もったすぐ後のように陶器の白さが眩しかった。
 メイドさんが静かに私を見つめている。
ああ、そうか。今度は私が観察される番なのか。
そう思うと、たったそれだけで気が晴れてくるような気がして、私はその感情を流し込むつもりでカップに残ったお茶を飲み干した。

 空になったカップに、新しいお茶が注がれている。
私はじっとその様子を見つめていた。
メイドさんは、カップを見つめながらおもむろに口を開いた。
 「寂しいのですか……」
 小さく呟いた一言。
それは私に向けられた言葉と言うよりは、独り言に近い響きがあった。
私は…多分少し強張っていたのかもしれない。
いつのまにかメイドさんは私の顔を見据えていた。
その瞳はまるで私の心を見透かすかのように―――

 「ふふ」
不意に目線が揺らぎ、メイドさんの表情に笑みが浮かんだ。
そう、おそらくじっと見据えられていた時間はほんの僅か。
もしかしたら瞬間という表現ですら長い間だったのかもしれない。
 「もっと楽に…肩の力を抜いて下さいな。折角のお茶会なんですから」
私はああ、と相槌を打ったが心ここにあらずといった心境に陥っていた。
新しく注がれたお茶を口に含むと、今度は私が熱さに驚く番だった。
そんな私を見て、メイドさんはクスクスと笑った。
つられるように私も微かに吹き出した。

 ああ、こんな風に誰かと笑いあうなんて―――
忘れていた感覚。
さっきまで、何もなかった自分の中に生まれた”何か”

 ボーン ボーン………
 壁時計が時を告げる。
短針が伸び上がり、長針が起きあがる時間。
 「あら、時間が流れるのは早いものですね…」
言葉の隅に微かな憂いを感じるのは感傷だろうか?
 「もう今日はお開きにしましょう…」
思い返せば、ただお茶を飲んでいただけだった。
そんなに言葉を交わした訳でもない。
でも、なぜか心が軽くなった気がした。
 「どうです?少しは気が晴れました?」
ちょっと含みのある笑み、言うならばイタズラ心のエッセンスを一滴垂らしたような笑み。
 「……ありがとう」
メイドさんは優しげに頷くとカチャカチャとティーセットを片づけ始める。


■ Chapter4

 やがて全ての片づけが終わる。
店内の電気を全て落とし、扉に鍵をかけた。
メイドさん――もうメイド服から着替え、茶色のコートを着こなしている――は、戸締まりを確認すると、キーホルダーから店の鍵をはずすと、郵便受けに入れた。
カランと乾いた音を立てて、鍵が郵便受けに納まる。
彼女はさっきよりもはっきりと憂い――いや、寂しさ?――の表情を浮かべていた。

 「私、ここで働くの、今日でおしまいなんです。たった一ヶ月だったけど…」
名残惜しそうに暗くなったガラスの向こう側を見つめながら、独白するように、誰かに聞いて貰いたいかのように。
 「たくさんの想い出が出来ました。立ち上げの時から一緒に頑張って、オープンの日はとっても緊張したっけなぁ……」
踵を返し、シャッターの降りた店が両脇に並ぶ狸小路のアーケード街を歩いていく。
 「なんか、もう終わっちゃったと思うと、ほんの昨日の事なのに……昔の事みたい」
夜の空気は冷たく、吐息が白い。
 「閉店時間になって、私みんなに言ったんですよ。今日で終わりだから1人で掃除をやらせて欲しいって」
昼間は人々で賑わうアーケードも閑散として、ガランとしていた。
 「短い間でしたけど、思い入れがたくさんあったんです。だから、1人でお別れしたいと思ったんですよ」
彼女の目尻から、つぅと零れ落ちる―――
 「でもそしたら、貴方がなんだか私以上に寂しそうにしていて、人ごととも思えなかったし、なんだか放っておけなくて、でもそっとしておいてあげたくて…………」
不意に彼女が歩みを止めた。
 「お店の雰囲気が凄い好きだった。優しい空気が流れてた。ここに来るだけで癒されて、元気になれる――そんな雰囲気」

 ああ、そうか。
今日、この店に引き寄せられたのは偶然なんかじゃなくて、きっと呼ばれたんだ。
彼女と仲間達が創りあげた店の空気に。
 「私も―――そんなお店を作れていたのかな?」
寂しそうに、後ろを――お店の辺りを――振り返りながら。
彼女は、絞りだすような微かな声で、私に問いかけた。

 本当は私が答えるべき問いかけではなかったのかもしれない。
これは、彼女の仲間達に向けられて発せられた彼女の言葉。
だが、私は彼女が最後の時間を費やして、彼女が好きだと言ったお店を、空間を作り出した場に居合わせた。
 「それは大丈夫。僕はあの店に――君に癒されたから……」
だから、はっきりと答えられた。
彼女はその場にしゃがみ込み、静かに嗚咽をあげる。
私はただ傍らにたって、彼女が気が済むまで待っていた。

 暫くして落ち着いたのか、彼女は目尻を拭うと立ち上がった。
 「ありがとう。そして、色々と付き合わせてごめんなさい」
その言葉は私が彼女に投げかけるべき言葉だ。
 そう告げると彼女は笑った。
店で案内をしていたときのような自然な笑みで。


■ Chapter5

 アーケード街を抜け、車の少なくなった通りを歩いていく。
不意に雪が舞い降りてきた。
大通公園を抜けるころ、ちらちら待っていた雪は季節はずれの大雪に変わった。
風のない静かな夜。
無数の白い雪片が、辺りを白く彩る。
街灯の白や燈の灯りを受けながら、街をぼやかしてゆく。

 言葉なく、道を歩く。
行く先に積もった雪に足跡をつけながら。
ただ黙って、眠りに就く街の喧噪を危機ながら、横を歩く彼女をなんとなく眺めながら。
ああ、そうか。
彼女は表情で語っていたのか―――
お店でのお茶会のこと、そして今のこと。
彼女の表情はどんな言葉よりも雄弁に語っていたんだ。

 真っ直ぐに伸びていた道がつきあたる。
奥には綺麗に配置されたライトとガラス張りの大きなドーム、そして雪に隠れるように背後に大きなビルがうっすらと見えていた。

 横断歩道の信号は赤い。
 「私、あのお店で働くことが出来て良かった……」
彼女が、そう呟くと信号が青に変わった。
 「今日はありがとうございました。いい想い出が出来ました……」
そう言って、彼女は改札口へ。
私はその姿を見送る。
 最後に「『いってらっしゃいませ、ご主人様』」
彼女はお淑やかな、だが晴れ晴れとした笑顔で、そう一礼すると改札の奥へと消えていった。

 私も家路につこう。
雪の降る中、タクシーを求めて北口へ。
 よく考えれば、自分を取り巻く状況が何か変わったという訳でもない。
結局、これからの行く先は見えないままで、将来への不安要素も豊富にある。

 ―――ただ胸の内から絶望だけが消えていた。

 そうだ。
彼女のように微かでもいいから笑みを忘れないでいれば、
――例えこの気持ちが今だけのものであったとしても―――
少しくらいの不安は乗り越えていけるのだろう。

 私を乗せたタクシーが走り出す頃、不意に雪が止んだ。
夜の街は暗い。
車のヘッドライトが照らす道の先以外は闇に沈んでいる。
もちろん灯りを消したタクシーの車内から、やはり闇に沈んだ街並みを眺めていた。
いつしかタクシーは線路に沿った道をゆっくりと走っていた。
 後から白い明るい光が近づいてきた。
私の横を煌々と明るい光を窓から漏らしながら列車が追い越していく。
列車のテールライトを追いかけるように、タクシーが少しスピードを上げた。


――『メイド喫茶(前編)』 Fin――


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posted by 東村氏 at 01:31| Comment(3) | TrackBack(0) | 妄想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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